2015年10月28日水曜日

「入門さえできない人のための作曲講座 第二章 【後編】」を投稿しました

「入門さえできない人のための作曲講座 第二章 【後編】」が完成したので、ニコニコ動画に投稿しました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm27467291

なお、続編は引き続き製作中です。

2015年9月13日日曜日

「Forgerの備忘録」 第7回 無神論者は仮想天使の夢を見るか?

 Forgerです。9月5日に、「マジカルミライ2015」(http://magicalmirai.com/2015/)へ当会の主要メンバーで行ってきました。という訳で、学術分析担当の観点から私見を述べさせて頂きます。

 結論から言えば、今回のイベントは、「ボーカロイド」という「協創されたカリスマ」を象徴とする「集合的沸騰」により「聖なるもの」を顕現させる「現在進行形の神話」である、と言えます。

 では、順番に説明していきましょう。

まず、「カリスマ」(ギリシア語: Χάρισμα、ドイツ語: Charisma)とは、預言者・呪術師・英雄などに見られる超自然的資質のことを指します。そして、この資質を持つ者による支配を、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは「カリスマ的支配」と呼び、「支配の三類型」の一つとしました。

 ただし、私がウェーバーと見解を異にするのは、「その資質が特定の個人に内在するもの」ではなく、「『個人に内在する』と社会的に構成されたもの」と考える点です。言い換えるならば、ある人物がカリスマとなるのは、その人物が特殊な資質を持っているからではなく、「周囲の人間がその人物にその資質があるかのように振る舞う」からだということです。

 従って、「その人物に本当に特殊な資質がある必要はない」でしょう。それどころか、「その人物が現実に存在する必要すらない」と理論的には言えることになります。

 今回のイベントで顕著な例を挙げるなら、9月5日の昼公演で、機器の不調により、鏡音リン・レンの映像が曲の途中で消えたことを「リンとレンが緊張のあまり曲の途中で倒れ、楽屋に運ばれた」という「説明」が考案され、共有され、観客がそのように振る舞ったという事象です。

 つまり、「ボーカロイド」とは、その「存在」と「資質」を含めてイベント運営側と観客が「協力して創造する」、「協創されたカリスマ」だということです。

 次に、「集合的沸騰」とは、フランスの社会学者エミール・デュルケームの提唱した概念で、宗教的儀式等の中で生じる人々の熱狂状態のことです。そして、この現象は宗教に限らず、ライブやスポーツなど、ある種の「カリスマ」を大勢のファンやサポーターが前にした時にも見られます。

何故なら、このような集合的陶酔状態は、人間が集団的行動に没入する際に必然的に生まれる社会的現象であり、そのような非日常的状態こそが、日常的状態である「俗」から区別される「聖」であり、宗教の基盤となる現象だからです。

 今回のイベントで印象的な事象を挙げるなら、観客たちが振るLEDペンライトやケミカルライトの動きが徐々に同調していき、会場全体が一つの熱狂を孕んだ海となり、曲のリズムとボーカロイドのダンスに合わせて光の波が揺れる独特の時空を構成した瞬間でしょう。

 つまり、「ボーカロイド」という「協創されたカリスマ」=「象徴」に陶酔的に参加することで、見知らぬ者同士であるイベント運営者と観客、観客と観客の間に不思議な「絆」が生まれ、「ボーカロイド」という「憑代」に「聖なるもの」としか呼びようのない何かが顕れたのです。

 最後に、「神話」とは宇宙開闢や神々、英雄などの「聖なるものについての物語」を指します。スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングは、すべての人間は、生まれながらの心理的な力(psychological force)を無意識に共有する(「集合的無意識」)と主張し、これを「元型」(archetypes)と名づけました。そして、異文化間の神話に見られる類似性から、この「元型が表現された一つの形態が神話だ」と論じました。

 さらに、通常の場合、「神話」とは「始原」、即ち「歴史以前の事象」を指すことが多いです。実際、多くの社会において、神々や英雄が跋扈する「神話」と、人々が織りなす「歴史」とは区別されます。

 そして、「祭り」とは、その「『神話』を『儀礼』として象徴的に再現すること」を指します。その「祭り」の中では、「神話」という「始原」が「聖なるもの」として顕現し、参加者に共有されることで「共同体」が活性化し、その「絆」が強化される訳です。

 今回のイベントで象徴的な瞬間を取り上げるなら、アンコールのラスト、「ハジメテノオト」を初音ミクと一緒に観客全員で歌った瞬間でしょう。その歌詞が想起させる「初めての音」というイメージが「始原」という「元型」を活性化させる最中、「聖なるもの」そのものと化した「初音ミク」と共に、ボーカロイド黎明期の「名曲」をコンサート会場において、観客全員で陶酔しながら合唱する。

 つまり、「ボーカロイド」を統合の象徴とする共同体の黎明期という「始原」=「神話」を「合唱」という形で儀礼的に再現し、「協創されたカリスマ」に「聖なるもの」が顕現することで、「素晴らしいコンサート」という新たな「神話」を生み出すということです。

 このように、大学で宗教学を専攻した私にとって、今回のイベントは非常に興味深い事象に満ち溢れた、知的興奮を誘うとても楽しい経験でした。次の機会があれば、フィールドワークを兼ねてまた参加したいものです。

「koryuの補足メモ帳」 第五回「未だマジカルならざるミライ」

 PBMの会の主要メンバー3名で、9月5日の『マジカルミライ2015』、初音ミクコンサートに行ってきました。「曲作りに必要なもの」の後編はいったん後回しにして、そのレポートをお届けします。筆者ことkouryuはPBMの会では作曲技術を担当しているわけですが、今回はむしろ本業の物書き、文章系創作者(自称)の視点から書かせていただきます。


 9月5日、午後5時半。長い列に並んで入場した武道館で見たのは、当たり前といえば当たり前ですが「普通のコンサートとは違う」光景でした。
 仮設の舞台上には噂に聞くディラッドボード、アリーナ席後方には音響機器のみならずミク制御用と思われる大量のコンピュータがずらりと並び、良くも悪くも違和感を醸し出しています。さらに舞台脇のスクリーンではクリプトンやその他のボカロ関係の宣伝CMが流れ、「ああ、やっぱりバーチャルアイドルのコンサートなんだな」という感じでした。
 やがて定刻になると会場が暗くなり、会場の皆が一斉に立ち上がってサイリウムを振り始めます。「よく教育されているなあ」と思いつつ、とりあえず自分もサイリウムを振っているうちに耳に飛び込んできたのは名曲『Tell your world』。同時にディラッドボードに初音ミクの姿が浮かび上がり、会場のボルテージは一気に上昇します。
「なるほど、最初に誰もが知っている定番曲を持ってきて会場を一体化させるのはアイドルコンサートとかと一緒だね。ひねりはないけど演出としては悪くない」
 などと考えつつ、見ていたのですが。
 が。
 そのまま二曲目、三曲目、四曲目とプログラムが進むうちに感じたのは熱狂ではなく、違和感でした。
「何これ?」
 ディラッドボード上でミクが踊り、跳ねる。脇のバンドメンバーのリアル演奏の楽器の音と共に、スピーカーからミクの声が響きます。確かにバーチャルアイドル・初音ミクが「科学の限界を超えて」リアルに降臨したかのようです。
 ですが、おそらくそれ故に思ってしまいました。
「別に、これなら人間のアイドルでもいいじゃないか」
 …………。
 …………。
 …………。
 書き遅れましたが筆者は初音ミクのコンサートは今回が初めてで、過去の映像をニュースや動画で多少見ていたのと、あとはkanikanさんからあれこれ聞いていた以外は大した前知識無しでの参加です。そして少なくともコンサートの前三分の一に関しては、筆者が無意識に抱いていた「バーチャルアイドルのコンサート」への期待をきれいに打ち砕くものでした。
 いや、技術的にすごいことをやっているのはわかります。
 というか、二次元画像をあれだけうまく立体的に見せ、さらにその中身であるいわば「電子人形」を違和感がないレベルで人の動きに似せて操るのに、想像を絶する手間暇と苦労があるのは実感ベースでわかります。
 でも、結局やっているのは「人間の真似」?
 それなら人間でいいじゃないか。
 そう、人間のように踊って、人間のように歌って、人間と完全に同じ土俵で勝負するなら、長丁場のなかであれこれ起伏を設け、演出を考えて全体を構成する「普通のアイドル」のコンサートの方が格上だ。(加えて当然、「ナマモノならではの迫力」もある)
 人間のマガイモノが人間を真似ても、所詮は劣化コピーにしかならない。人外を主人公に据えるなら、人外ならではの在り方、見せ方、魅せ方というものがあるだろう?
 いや人外オリジナルとまでは言わない、たとえばMV(ミュージック・ビデオ)というものがある。あれでやっているようなイメージ中心の謎演出をこの舞台でリアルタイムで見せたらどう? まさに「今宵一晩限りの夢舞台」として!


 とまあ、好き勝手ばかり言いましたが、おそらく本来、このコンサートは「架空の歌姫、共同幻想の象徴たる初音ミクが現実(リアル)に降臨した!」という事実自体に熱狂し仲間との一体感に酔いしれることができる人たち、つまりはファンに捧げられた祭りの場なのでしょう。それはそれでまったく問題はないのですが、しかし内心でそこを単なる通過点と見てその先を求めていた筆者にとっては、前述のようにいろいろと物足りない印象がありました。ただし中盤から後半にかけての幾つかの曲目、具体的には『ロミオとシンデレラ』あたりからはディラッドボードの上部に掲げられたスクリーンの映像とのコラボを始めて、そこからは割と楽しく見られました。「悪くないけど、自分だったら映像の下半分をディラッドボードの背後に入れて2D/3Dのコラボを狙うよなあ。あ、でも武道館だと三階席まであるから角度的に無理があるか」「歌詞が聞き取れないなあ(注:場所が右側スピーカーの前で、楽器の音にミクの声がかき消されがちでした。位置取り重要です)、やっぱり画面に表示してもらったほうがいいなあ。歌詞が踊り出してディラッドボードに飛び込んでミクと遊ぶとか面白そうだなあ」などなど、妄想を膨らませながらですが。


 このコンサートの題名は『マジカルミライ』ですが、文章媒体(主に小説)には「魔術的リアリズム」という言葉があります。作品世界に現実世界にはない架空の法則を放り込み、それをご都合主義抜きで厳密に運用し作品世界内で展開することで生まれる一種異様な迫真性、架空のリアリティのことです。
「本物(リアル)ではないが独自のリアリティがある」
 個人的に初音ミクが、というよりバーチャルアイドルが目指すべき当面の領域はここではないかと思っています。残念ながら今回のコンサートはマジカルなリアリズムに満ちたミライを、少なくとも筆者には見せてはくれませんでした。しかし、そうなる可能性もまた十分に見ることができました。ファンが初音ミクを応援し続ける限り(そして開発を続けられるだけの売り上げを出し続ける限り)、いずれは技術の進歩と演出の工夫がこのミライの扉を開いてくれることでしょう。
 そしてその時が、初音ミクというバーチャルアイドルが「これまで存在したことのない新たなジャンルの総合デジタルエンターテインメント」への昇華を遂げ、一般層にも広く認知され評価される時でもあるのだろうと、そんな風に思います。


(終)


[以下、余談です]
 演出における筆者の好みは「虚実、真贋の定かならぬもの」で、アニメだと『カレイドスター』や『マジカルエミ』がお気に入りと言えば、わかる人にはわかっていただけると思います。プロレスなんかもこの範疇に入ります。ちなみにバーチャルアイドルとしてよく言及されるシャロン・アップル(『マクロス・プラス』)は筆者に言わせれば逆効果の無駄演出が多くて不可(あとAIが人に惚れるな!)。
 魔術的リアリズムについては、『ジョジョの奇妙な冒険』の第三部について書かれたある漫画評が、読んだことのある人にはわかりやすいと思います。
「これはこれで面白いが、第一部・第二部に見られた魔術的リアリズムが失われつつあるのが残念だ」
(注:波紋=「架空のリアル」。スタンドになると一芸ネタのご都合主義の産物)

「蟹缶の弱音ハクなボヤ記」 八言目:マジカルミライ2015に行ってきました    「Packaged」から「Tell Your World」「Hand in Hand」へ

 9月5日、マジカルミライ2015に行ってきました。
開催場所は日本武道館。あの日本武道館ですよ。マジで日本武道館ですよ。
「初音ミクの武道館ライブを描いてみた・http://www.nicovideo.jp/watch/sm1121675
「初音ミク 1st Live 「Packaged」 追加公演・http://www.nicovideo.jp/watch/sm1394733
で「Packaged」の曲と共に描かれた夢想は8年で現実となりました。


 会場には老若男女国籍を超えて様々な人達が集まりました。
2010年の「ミクの日感謝祭」のおっさん率の高さからは雲泥の差です。
9月4日のライブではキャロライン・ケネディ米国駐日大使が来場されていたとか。
次は秋篠宮悠仁殿下が来場されるくらいあり得る勢いですね。


 さて、今回の武道館のライブで規模の拡大はひと区切りにして良いと思います。
ドーム公演や、ロックフェス参加等々純粋に規模を拡大する方向から視点を変えたライブを指向する時に至ったと思うのです。


「初音ミクとは、新たな創造のあり方の象徴であり、作品を介した人と人との出会いを祝福する女神である。」


 これはミクさんが雑誌表紙を飾った、建築知識・2012年9月号(No694)の巻頭コラム「ミクと建築のミライ」の一文です。
私はこの一文に非常に深い感銘を受けました。
まさしく“初音ミク”という存在を的確に表現していたからです。


 今のマジカルミライに欠けているもの、それは「人と人との出会いを祝福する」ことだと私は感じています。
今回のマジカルミライの展示関連はワークショップ、ホールイベント、企画展の3つに大別できます。
このうち無条件で参観できるのは企画展のみですが、これもほぼ企業の物販&サンプル展示で構成されていて“創作文化の体験”を謳うには内容が薄いと感じました。


 もっと来場者が能動的に参加できる仕組み、例えば他の来場者と交流しなければクリアできないゲームを仕掛けるとか、リレー楽曲作成とか楽器の体験コーナーを用意するとか。
もちろん予算やスペースや機材、担当スタッフの確保という限りあるリソースをやりくりする課題がありますが検討する価値は十分にあると思います。


 また、ライブでは初期の頃のようにボカロPさんの出演や13年のマジカルミライのように中の人達の前説、そしてライブ中のバンドマンとミクさんの絡みを復活させてほしい。
今回のライブはバンドマンとミクさんがきっちりと別れている印象でした。
見ていてなんだか寂しい。


「初音ミク」という主体は存在しません。
「初音ミク」という存在は彼女を取り巻く人々の影絵です。
「初音ミク」のライブに集った人々が彼女を存在させているのです。
「初音ミク」を構成する人々が集まり、構成する全ての人々に感謝を捧げる場所。
「初音ミク」のライブに“観覧者”なんていない、必要ない。
「初音ミク」のライブという場に集った人々でライブを創る。
「初音ミク」のライブとはそのような場であって欲しいと思っています。


ライブ終了と共に上がる「ありがとう」の声はそんな意味を持っていたはずです。


 個人的に創作を楽しむ「Packaged」から、世界レベルで繋がり、創作文化を育て、その一翼を担っていることに誇りを感じる「Tell Your World」「Hand in Hand」へ。

 今こそ、その転換期ではないでしょうか。

2015年8月24日月曜日

「蟹缶の弱音ハクなボヤ記」 七言目:ビジネスショーに行ってきました

去る7月3日に第1回先端コンテンツ技術展(http://www.ct-next.jp/Previous-Show-Report/Previous-Show/)、7月9日に第2回ライブ&イベント産業展(http://www.live-event.jp/)に行ってきました。
コンテンツ技術展にはクリプトンが出展するということで、ライブ&イベント展には個人主催のボカロライブに使えそうな機材を探すことが目的です。
もちろん、この両方とも商談目的で開催されているので業者向けのイベントです。
それに個人参加は可能なのか?という疑問はありました。
しかし、参加申し込み書には企業の他に“団体”というカテゴリーが、しかも、業種に“クリエイター”も。
はい、PBMの会という「団体」の「クリエイター」として申し込みました。
ちゃんと展示会招待状が届きました。参加資格というのはかなり緩いようです。
●先端コンテンツ技術展
先端コンテンツ技術展は東京ビックサイトで開催されました。
展示内容はざっと見てVR、AR、3Dプリンタ辺りの技術が7割程度を占めていました。
やはり、直近の技術展開はこの辺が進んでいくのだろうと感じました。
レポートとしてはこの辺を参考にしてみてください。
藤本健のDigital Audio Laboratory
gooラボ
ここに来た理由であるクリプトンの展示はリアルタイム3DCGコントロールシステム「R3」と、ミストスクリーンでした。
イーハトーヴ交響曲を観に行った時からこのシステムがどうなっているのか気になっていたので実物を触れる絶好の機会でした。
意外とシンプルな操作機材だったので拍子抜けしましたが、そこから出ているコードの先にある機材を見て「ああ、システムとしては結構複雑なんだな、やっぱり」と思いました。
このシステムをマジカルミライ2015でも使うのかと聞いてみましたが「使わない」という答え。
他に目を引いたのはソニーPCL社(http://www.sonypcl.jp/sonypcl/)の「4KVIEWING」。
横7.2m×縦4.2mの自発光型 超高精細大型ビジョンに原寸大で色々なものを表示できます。
デモでは自動車設計のケースを説明していました。
確かにかなりリアルに表示されます。
ただ、映像による視覚情報と身体の空間認知感覚の間にズレを感知したらしく、一瞬だけ身体のふらつきが起こしました。
●ライブ&イベント産業展
こちらは幕張メッセでの開催です。
ライブの舞台装置関連をはじめ、グッズ見本はもちろん様々なキャストを派遣する会社もたくさんあって驚きました。
電子チケットの展示を見ると、今後は電子チケットに移っていく流れを感じました。顔認証チケットなんてのもありました。
大型・高精細のLEDディスプレイや球体のLEDディスプレイも目を引きました。
色々と展示されていましたが、やはり個人主催のライブに使えるようなコンパクト且つ安価な装置は有りませんでした。
今後開催される初音ミクコンサートで導入してはどうかと思ったものがあります。
今回グッズ関連で目立っていたのが、キンブレとかペンライトとか呼ばれるLEDライトです。
最近はこのLEDライトを無線で点灯パターンをコントロールできるそうです。
LEDライトを扱っているすべての会社がコントロールできるライトを展示していました。
ジーワン株式会社(http://www.ripple-light.com/)のブースで話を聞きましたが、去年くらいから導入され始めているそうです。
先日、芸能ニュースで報じられたジャニーズ系のコンサートでそれらしい映像を見ました。
化学薬品を使うサイリュームは中の薬品が破損等で床を汚してしまうため禁止している会場もあるそうです。
初音ミクのコンサートでは観客の緑のライトが光る光景を「ネギ畑」と称して、コンサートの楽しみの1つでもあります。
この「ネギ畑」をより一層きらびやかなものにするため、コントローラブルLEDライトを導入してはどうかと思います。

2015年7月5日日曜日

「koryuの補足メモ帳」 第四回 曲作りに必要なもの(前編) ~適当な曲、「私の曲」~」

「PBMの会」音楽技術担当のkouryuです。今回も前回に引き続いて音楽ネタでお送りします。
「初心者の曲作り」を主題にしているPBMの会ですが、わかっているようで意外とわかっていないのが「初心者と音楽経験者のどこが違うのか?」という点です。今回はその辺りに焦点を当てつつ、曲作りのためには何を意識するべきかについて紹介します。(注:特定の理論・学説に基づくものではないので、あくまで個人の意見としてお読み下さい)

●実は簡単な曲作り!?
 曲を作る、というと特殊な作業のように思う人もいるかもしれませんが、子供時代にピアノやバイオリンなどの音楽実技教育をしっかり受けた人種にとっては、実は大して特別なことでもありません。専門知識や技術が必要なのはむしろ伴奏(あるいは合奏)作りの部分であって、主旋律(メロディ)に関してはいわゆる作曲法を知らなくてもそこそこ何とかなるものです。たとえば、
「30分の間に8小節のメロディを作れ。出来は問わない」
と命令したとすると、「教育済み」のメンバーの大半はあっさりと作ってしまうでしょう。5分以下で済ます人も少なくないはずです。実際にこの文章を書くに当たって筆者の周囲の「できる」面々に改めて確認してみましたが、「まあ、本当に何でもいいなら作るけどさ。ただし完成度は期待するな!」というのが標準的な反応でした。
 では音楽教育を受けた人々は、揃って特別な才能の持ち主ばかりなのでしょうか?
 そんなはずはありません。例えばこの文章、我々が普段読み書きしている漢字仮名交じりの文章ですが、これは日本語を学ぼうとする外国人が揃って頭を抱えるレベルの強烈な難度のシロモノです。ですが小中9年間の義務教育を受けた誰もが当たり前にこれを使いこなす……そう、これは「難度が高くても、きちんと教育を受ければ皆ができる」種類のものであり、歌唱や楽器の演奏も基本的にはそれと同様のものだからです。
「機会がなかったから出来ないだけだ。全員が同レベルの音楽教育を受けていれば、やはり大半の人が簡単なメロディは作れる域に達したはずだ」
 これが筆者の意見です。
 しかし一方で、その「できる側」の人たちに単純に「作曲せよ」と言っても、「やったことがない」「できない」と即答されるという事実があります。その気になれば30分以下でメロディを作れるにも関わらず、です。
 ではここで前の「命令」を読み返してみましょう。
「30分の間に8小節のメロディ(旋律)を作れ。出来は問わない」
 そう、ポイントはこの「出来は問わない」の一言です。音楽の素養がある人々にとっても「適当に作れる曲」と「自信のある曲」は思いっきり別で、要するに前者はまともな曲とはみなされていないのです。

●経験者式データベース
 では、彼らが「出来は問わずに適当に作った曲」とはどんなものなのでしょうか?
・ありきたりな曲、平凡な曲
・当たり障りのない曲、耳に残らない曲
・どこかで聞いたような曲
・実際にどこかで聞いた曲(だなとうっすら思いながら「まあいいや」で作る)
 だいたいこんなところです。
 これらは要するに「頭の中のデータバンクから適当に取り出した曲」です。「××の素養」と言った場合、その意味するところの7割は「××に対する知識量」と言い換えてしまえますが、音楽教育を長年受けた人々は頭の中に相当に高度な音楽情報をため込んでいます(注:あくまで一般層との比較。プロはまた別レベル)。曲の数すなわち「量」よりも「質」の違いのほうが重要です。その違いの一例を挙げましょう。
「経験者は、聞き取った曲を単なる『録音された音声』としてではなく、五線譜化して音符単位に落とし込んで整理して記憶する」
「はぁ?」と思うかも知れませんが、「教育済み」でかつ一定レベルの音感を持つ者は、ほぼ確実にこれをやっています。一番近いイメージで言うと、一般人の曲の記憶が
「手書き文章をスキャナで読み込んでそのまま画像化した状態」
であるのに対し、素養のある人々の曲の記憶は
「画像からOCRで文字・単語を読み取って文字情報に置き換えて、いつでも編集できる状態」
にまで整理されているのです。しかもほぼ無意識、入力即変換で保管まで全自動です。当然ながら切り取り・切り貼り・合成改変、なんでもござれです。そしてこのたぐいの融通の利くデータが大量にある状態で「適当に8小節を埋める」のは……いわばカット&ペーストの延長なので、決して難しい作業ではないのです。

●プライドと独創と
 ではそんな彼らにとって「作曲」であるか否かはどこで判定されるのか。「作曲家(ボカロP等含む)」とは何が出来る人なのか。
 それはこれもよく聞く言葉、「独創性」であり、そして「完成度」です。たまたま耳にした者が振り向いて聞き入るような独創的なフレーズに、それを支える曲全体の完成度。これを備えた曲を作れる者のみが経験者たちから「作曲家」と呼ばれます。逆に言えば、彼らが「作曲はできない」と自ら言い切るのは、自分たちと作曲家の間にある溝の深さを明確に理解しているからであり、また同時に経験者としてのある種のプライド故とも言えるでしょう。こんな感じです。
 (1)オリジナリティがあり、人に聞かせられる完成度のもの以外は曲とは呼べない
 (2)適当に作ったありきたりな曲など、恥ずかしくて「私の曲」として人前には出せない
 (3)だから私は「作曲ができない」
 ただ、彼らがそう自覚しているということは同時に、
「高度な脳内音楽データベースは、作曲家になるための前提条件ではない」
ということでもあります。実はここに作曲初心者が食い込む余地があります。音楽教育で身につく能力と、「作曲家」として認められるための条件はまた別で、後者については初心者でも可能性があるということです。
 先ほどの二要素で言うと、音楽技術の習得が前提条件の「完成度」については当然「データベースの存在=アドバンテージ」なのでそのハンデを背負った初心者には「頑張って」と言うしかありませんが、「独創性」についてはありきたりの音楽学習から離れたところからも誕生します。
 では音楽教育では必ずしも身につかない「独創性」、これはいったいどこから出てくるのでしょうか?

~後編に続く~

2015年6月7日日曜日

「蟹缶の弱音ハクなボヤ記」 六言目:力まなくなるまで

 スポーツや楽器演奏などを始めた時、指導者に必ず「力まない」と注意を受けたのではないでしょうか。
 私は近所の音楽教室でドラムのレッスンを受けているのですが、やはり「力まないで」と指導を受けました。
 ドラムの場合、力んだ状態で演奏をするとスティックの動きが悪くなり、ドラムフレーズが上手く叩けない上に少し早めの曲になったとたんに演奏がついていけなくなります。
 この「力み」はどこから出てくるのかを自分なりに考えると、次に行わなければならないことを常に強く意識して、動きの1つ1つを考えているからでしょう。
では、この「力み」を抜くためにはどうすれば良いのかというと、これはもう練習を重ねて演奏に必要な動きを無意識にできるようになるまで体に刷り込んでいくしかありません。
というかそれしか私は知りません。
 レッスンを受け始めた頃は早いと思いながら演奏していた曲を、今の自分が演奏すると遅いとすら感じますし、四苦八苦していたフレーズも余裕で演奏できます。
 これを踏まえて思うわけです。
 今、作曲の勉強をしているわけですが、なかなか思うように進めることができないのは作曲をすることに「力んで」いるからではないかと。
 作曲は人生のこれまでに使ったことのない感性や知識を動員して行うことになるのでどうしても動きが悪くなります。
 
 しかし、それを理由に「作曲は難しい」と言っては先に進みません。
 
 力まなくなるまでやり続けるしか道はないのでしょうね。

2015年5月31日日曜日

「入門さえできない人のための作曲講座 教養編 其の3」を投稿しました

 「入門さえできない人のための作曲講座 教養編 其の3」が完成したので、ニコニコ動画に投稿しました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm26379633

 なお、本編の後編は製作中です。

2015年5月24日日曜日

「Forgerの備忘録」 第6回 「構造」と「構成」-メタ楽曲分析の意義

 Forgerです。前回、「小論文と歌謡曲がほぼ同じ構造をしている」ことを論じた訳ですが、今回は「楽曲の構造を分析する意義」についてお話します。

結論から言うと、楽曲を効果的に聞かせるためには「構成」を考える必要があり、その前提として「構造」を分析する必要があるからです。

例えば、前回お話しした「5パラグラフ・エッセイ」では、

1 序論:テーマの設定
2 本論1:テーマに対する論点と自分の意見の根拠1の提示
3 本論2:テーマに対する論点と自分の意見の根拠2の提示
4 本論3:テーマに対する論点と自分の意見の根拠3の提示
5 結論:全体のまとめと、テーマに対する自分の結論の提示

という「構成」になっています。

 言い換えるなら、

「問い」→「論点と根拠」→「結論」

という非常に論理的で明快な構成になっています。

 これに対し、歌謡曲もこれほど明確ではないですが、

1 前奏:曲全体を予感させる部分
2 Aメロディー:曲は序盤。歌詞は舞台設定を提示。
3 Bメロディー:曲はサビへつなげる部分。歌詞はサビのメッセージの理由となる心情を提示。
4 サビ:曲は一番盛り上がり、歌詞は最も伝えたいメッセージを提示
5 後奏:曲全体のまとめ。

というような「構成」が存在します。

 つまり、歌謡曲の「歌詞」には、

 Aメロディー    Bメロディー     サビ
「舞台設定」  → 「心情の理由」  → 「伝えたいメッセージ」

という「構成」があり、楽曲もそれに対応したものにする必要があります。

 さらに、サビを効果的にするためには、前奏にサビの一部を持って来たり、後奏でサビをリフレインしたり、対比させるようにAメロディーは敢てゆっくりと始めたり、等の様々な技法を使う必要があります。

 そして、それらの技法を選択する前提として、歌謡曲全体の「構成」を考える必要があり、そのためには既存の歌謡曲に存在するAメロディー、Bメロディー、サビ等の「構造」をきちんと「分析」し、それらについて学習しなくてはならない訳です。

2015年5月3日日曜日

「蟹缶の弱音ハクなボヤ記」 五言目:ニコニコ超会議2015に行ってきました

さる4月25日26日に幕張メッセで開催されたニコニコ超会議2015に行ってきました。
会場で感じたことを「音」をテーマに書きたいと思います。

●「音」は皮膚で聞くもの
 会場には大小様々なスピーカーが設置され、それを使う出展者や出演者がいます。
万単位の来場者が館内を巡り、時に歓声を上げる。
幕張メッセの館内にパンパンに音が詰め込まれ、木霊していました。
音が岩のようになって自分にぶつかってきたり、流星のように飛んで行ったり、
歓声が上がるたびに膨らんではしぼんでいくが見えたり。
もちろん、そんなモノが視認できるわけはなく、皮膚感覚がそう捉えるのです。
会場で聞こえるのは、音声ではなく、場の空気感そのものであったように思います。
これは、ネットを通じてではわからない、現場にいるからこそ感じられる感覚でしょう。

●「位置」は視覚情報ではなく、聴覚情報の方が重要なのか?
 今回の超会議では次世代ヘッドマウントディスプレイ「Oculus Rift」を使った展示が随分と増えました。
その中で、ロート製薬が目薬「デジアイ」のプロモーションとして初音ミク VR Special LIVEを出展。
10人を一組として、Oculus Riftと立体音響対応のヘッドホンを装着し、ミクさんのVRライブを行いました。
頭を動かして視点の位置を変えると音声の聞こえる位置も動きに追従します。
音声の位置が変わることでミクさんの位置が特定され存在感がぐっと上がることが分かりました。
以前、ボーカロイドオペラ「The End」を観に行った時は10.1チャンネルという音響環境での上演で、会場が暗闇で周囲が見えなくても音を聞くだけで「何かがそこにいる」という位置情報を認識できました。
 つまり、人は位置情報を視覚だけではなく聴覚をより強く頼りに特定しているということです。
では、先天的に聴覚障害を持つ人はどのように位置情報を得るのでしょう?
ひょっとして、方向音痴の人はそうでない人よりも聴覚の能力が劣っている可能性もあるのか?
あと、分身の術ってのは実は視覚ではなく、聴覚のトリックだったりする?

なんてことを取り留めもなく思った2日間でした。

2015年4月19日日曜日

「koryuの補足メモ帳」 第三回 ようやく音楽ネタの話

PBMの会」音楽技術担当のkouryuです。今回は当初の予定に戻って音楽ネタの話をお送りします。
 PBMの会では作曲入門の動画を製作していますが、曲作りを学ぶ方法論は一つだけではないわけで、ちょっと違った方向からの曲作りへのアプローチについて紹介します。
[マンガに学ぶクラシック作曲入門(?)]
●クラシックの勧め
 クラシック音楽というと、固いイメージを感じる人が多いと思います。つい正装して演奏会に行かなければならないような。クラシックというのは「古典」や「格式」を意味する言葉なのである意味それも当然なのですが、でも初心者が作曲を始めようという場合は、一度はクラシックに目を向けてみることをお勧めします。
 なぜか? というと理由は簡単で、
「教育用の教材が一番整っているから」
これに尽きます。
 ある文化ジャンルが世間に広まるには天才の存在が不可欠という説がありますが、クラシックというか西洋音楽の基礎は1700年代前半にバッハという天才が確立し、さらにそれに続く形で1700年代後半にモーツァルト、ベートーベンその他の怪物どもを大量に輩出したことで市民レベルにまで広がりを見せました。創生期に手塚治虫という正真正銘のバケモノが存在した日本のマンガが、さらに藤子不二雄や横山光輝やその他多数の「独力で一つのジャンルを切り開ける」面々の手によって世界でも稀な発達(※)を遂げて、その余波でアニメまで流行らせたのと同じ現象が起きたと思えばいいでしょう。
 そして、市民レベルにまで広まった文化が衰退せずに続く条件はただ一つ。
「高レベルの新作を生み出せる秀才を補充するために、大量の新規参入者を確保する」
 要するに、間口が広いことなのですね。マンガの場合はとにかく周囲に見本が山ほどあることに加えて教本も講座も専門学校まで存在し、さらに発表の場としての同人市場も広く商業の門戸も常に開いているという形でそれを保証しています。
 ではクラシックはどうかというと……世紀単位で続いた成果として、本当の入門者用の曲から「そこそこ難しい曲」まで、幅広く練習曲が揃っています(つまり音楽教室に通わないでも独学で何とかできる可能性があります)。そして易しく弾きやすい曲というのは、構造が簡単で仕組みを理解しやすい曲でもあるのです。
※:ちなみに現在でも世界の大半は「マンガは子供の読み物。大人が見るもんじゃない」です。日本は天才が居たが故の異端進化
●練習曲の勧め
 回りくどい説明になりましたが、そんなわけで易しく簡単な曲が揃ったクラシックの初歩の練習曲集は、作曲初心者の方にとっての「第一目標」の宝庫になります。試しに8~16小節ぐらいの曲を幾つかDTMソフトに打ち込んで聞いてみて、「このぐらいの曲が作れればいいんだな」と思えたらそれが第一歩だと思って下さい。
 と、このように説明すると、「俺が作りたい曲はこんな初歩の代物じゃねえ! もっとちゃんとしたものをやろせろ!」的なことを叫ぶ人がいるのですが、それは実は「俺は絵が描けねえけど××みたいなマンガを描きたいんだ! 描き方を教えろ!」と言うのと同レベルの主張だったりします。そう、作りたい作品(曲)の漠然としたイメージがあっても、それを具体化する方法論を持たないのが初心者です。とにかく何か一つ曲作りの方法論を模倣し理解し身につければ、その視点から高度な曲が「何をやっているのか」を理解できるようになり、さらにどの部分をどうパクれば自分の曲に応用できるかが見えてきます。しかし基礎がなければ……そう、人体のデッサンができない人には、マンガの登場人物を動かすどころかまともに模倣することすらできません。ジャンルを問わず、既存の技術を盗みとるためには最低限の基礎能力と知識が必須なのです。
 というわけで。
「第一歩目は必ず地道に」(注:才能の無い人限定)
 まずは練習曲から始めましょう。
●具体的には?
 具体的な対象ですが、ピアノだと「バイエル」という初心者用の王道の教本があるので、奇をてらわずにこれを見るのがお勧めです。インターネットで検索しても何曲かの楽譜がひっかかりますが、楽譜の出版業界はコピーが出回るせいで常に不況に喘いでいます。できれば業界へのお布施のつもりで、一冊ぐらいはきちんと購入してあげることをお勧めします。
 曲ではなくあくまでも「歌」に拘りたい人には、PBMの会は童謡の利用を推奨しています。小学校の教科書を引っ張り出すか、唱歌集を入手しましょう。童謡というと馬鹿にする人もいますが、例えば『赤とんぼ』の「夕焼け『小焼けの』」の部分のように、単純かつ綺麗で参考になるフレーズは注意してみれば山ほどあります。『通りゃんせ』を聞いて何か嫌な予感に襲われた人は多いでしょう。その気になれば高度な曲を簡単に作れる一流の作曲家たちが「音楽未学習の子供でも歌えて、しかも耳に残るフレーズを」という超難題に挑んだ結果なので、むしろ表面的な技巧に凝っただけのそこらの歌謡曲よりも遙かに本質的なノウハウが詰まっています。「ここがいい」と思った部分があれば、そこが「どんな音符がどうつながっているか(どう変化しているか)」を具体的に確認して自分で再現し、例えば別の歌詞を付けてみたりちょっとリズムを変えてみたりして、「自分のフレーズ」に作り替えましょう。それが山ほどたまってくれば、その組み合わせで曲が作れるようになる……かもしれません。
 頑張って下さい。

2015年3月15日日曜日

「蟹缶の弱音ハクなボヤ記」 四言目:私にとって、最も理想的と考えるボカロ曲発表の場

去る2月21日~22日にかけて行われた第1回世界ボーカロイド大会「VOCACON2015」に参加してきました。
その様子は下記のサイトの記事を読んでもらえればわかると思うので割愛します。
・togetter(第01回世界ボーカロイド大会 VOCACON2015 企画・公演資料、動画まとめ)
・ねとらぼ(バーチャルアイドルとの温泉旅行に人だかり 第01回世界ボーカロイド大会に行ってきました)
・週アスPLUS(初音ミクが花柳流の日本舞踊を華麗に舞った!「第01回世界ボーカロイド大会」)

私の感想としては、とても楽しい時間を過ごせました。
トークセッションや深夜の座談会での議論を通じてボカロと音楽の可能性みたいなものを感じることができました。
次回開催時にはもっと参加者同士の交流を促進する仕掛けがあるともっと楽しいものになると思いました。
あと、参加者のおっさん率が高かった(笑)。

さて、本題。
今回のボカコンに参加して1つ見えてきたのが、私が理想とするボカロ曲発表の場の在り方です。
それは、下手な曲と上手な曲が同時に存在し視聴できる場。
曲の上手い下手で肯定・否定されるのではなく、どちらも同価値で存在し、視聴者が「上手」の発見、「下手」の発見ができる場です。

初音ミク黎明期のボカロ界隈はニコ動のカテゴリランキングの中で「ズコー」というコメントが流れる曲と「神曲」と称えられる曲が混在していました。
私はその曲の中で流れるコメントを見て「この曲はミックスに問題があるんだ」とか「これは他と比べ手がここが違うのか」とか何がダメで何が良いのかを勉強することができました。
今のボカロ曲界隈に必要なのはこんな環境ではないかと考えるのです。
具体的な実現方法の案としては、作曲技術の勉強を目的としたコンテストの開催かなと考えています。

商業レベルで活躍しているボカロPさん達の場をF1レースと例えるならば、地方のカートの草レースでしょうか。
何の権威も賞金も無いけど、未来のF1レーサーもアマチュアレーサーも混在している、まだ何者でもない、でも、何者かになるかもしれない人達の集まる場。未来の始まりの場。
そんな場が私の理想のボカロ曲発表の場なのだろうと考え至りました。

なので、私はその草レース場のオーナーになることが当面の目標になるのかな。

2015年3月9日月曜日

「入門さえできない人のための作曲講座 教養編 其の2」を投稿しました

 「入門さえできない人のための作曲講座 教養編 其の2」が完成したので、ニコニコ動画に投稿しました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm25751459

 なお、本編の後編は製作中です。

2015年3月1日日曜日

「Forgerの備忘録」 第5回 小論文と歌謡曲-構造分析によるメタ楽曲分析

 Forgerです。今回は、小論文と歌謡曲の比較を通して、音楽理論とは違った視点から音楽の構造についてお話しします。

 結論から言うと、「5パラグラフ・エッセイ」という形式で書かれる小論文と一般的な歌謡曲の構造はほぼ同じということになります。

 では、具体的に両者を比較してみましょう。

 まず、1番小さい構成単位の比較からです。小論文の最小構成単位は「音素」です。日本語だと、五十音で表される「み」とか「か」とか「ん」とかのことです。歌謡曲の最小構成単位は「音」です。所謂、「ド」とか「レ」とか「ミ」とかのことです。

 次に、2番目の構成単位です。小論文の2番目の構成単位は「単語」です。「みかん」とか「りんご」とか、「音素」を複数組み合わせて構成されています。歌謡曲の2番目の構成単位は「動機」(モチーフ)です。「音」を組み合わせて構成されていて、普通は「2小節の長さ」です。例えば、「かえるの合唱」は「ドレミファミレド―」と「ドー、ドー、ドー、ドー」という2つの「動機」とその変形だけで構成されています。


 そして、3番目の構成単位です。小論文の3番目の構成単位は「文」です。「私はみかんを食べた」とか「彼はりんごを持っている」とか、「単語」を複数組み合わせて構成されています。歌謡曲の3番目の構成単位は「フレーズ」です。「動機」を組み合わせて構成されていて、普通は「4小節以上の長さ」です。

 さらに、4番目の構成単位です。小論文の4番目の構成単位は「パラグラフ」です。この記事だと一行を空けて一まとまりになっているのが「1パラフラフ」で、「文」を複数組み合わせて構成されています。歌謡曲の4番目の構成単位は「メロディー」です。「フレーズ」を組み合わせて構成されていて、普通は「8小節以上の長さ」です。

 最後に、5番目の構成単位です。5パラグラフ・エッセイの形式で書かれた小論文は、序論が1パラグラフ、本論が3パラフラフ、結論が1パラフラフという構成になっています。一般的な歌謡曲は、前奏、Aメロディー、Bメロディー、サビ、後奏という構成になっています。

 以上をまとめると、

「音素」/「音」
「単語」/「動機」
「文」 /「フレーズ」
「パラグラフ」/「メロディー」

と言う風に構成単位が下から上へ階層化されています。

 そして、小論文も歌謡曲も5つの最大構成単位(「パラフラフ」/「メロディー」)を組み合わせて作られているという共通の構造を持っていると分析できます。
 実は、このあたりの構造分析は、音楽理論では「楽曲分析」や「楽式論」というれっきとした一分野があり、細かい話をすると限がないのですが、大まかなイメージを掴んでもらうために、正確さは無視してかなりざっくりと説明しました。

 もし、こういった構造分析に興味のある方は、「楽曲分析」や「楽式論」などについて、インターネットで検索したり、解説書を読んでみたりしてみたら良いでしょう。

 なお、簡単な童謡を対象に、ごく初歩的な「楽曲分析」や、それを基に「作曲練習」をすることについて、本編とは別に「研究編」として発表する予定ですので、気長にお待ちいただけると幸いです。

2015年2月22日日曜日

「蟹缶の弱音ハクなボヤ記」 三言目:“DAW”の略ってさ“ダメだ”“アカン”“わけわからん”だよね?

「DTMを始めるには」という記事を読むと用意すべきツールにかならずDAWが挙がるわけです。
で、じゃぁとDAWを入手して使ってみると、まず使えない。
使えた人っているのかなぁ・・・
解説書があるDAWも結構限られている。
「DTMをはじめるぞ!」と意気込んでみても意外とこの辺で躓いて挫折している人が少なくないのではないかと思います。

私の場合も、やっぱりこの辺でも躓いていましたが、初音ミクV3でDAWがバンドルされることになって、その解説書にバンドルされているDAWの使い方が説明されるようになったことで何とか先にするめるようになりました。

音楽系の雑誌を読んでいると色々な編集機材が紹介されています。

日曜音楽家達がどこまで手を出すのかは私には想像できないのですが、色々な機材に手を出すときに最初に読む解説書というのが紹介されているサイトなんかあるといいなぁと思っている人は結構いるのではないでしょうか。

2015年2月15日日曜日

「Forgerの備忘録」 第4回 「練習」に必要なのは「選択肢の制限」と「具体的な手順」

 Forgerです。今回は、当会が提案する


「簡単で短い曲」を大量に作って「練習する」


という解決策が、どうして「入門さえできない人のための作曲講座」で提示している形になったのかについてお話しします。


 結論から言うと、


「大量の選択肢」があると、「素人は何をどうすれば良いか分からなくなり、途方に暮れてしまう」


からです。


 言い換えるなら、素人に「練習」のやる気を出して貰う時には、


1 「選択肢の制限」
2 「具体的な手順」


をしてから「練習」して貰う方が、目標が明確になり、作業が簡単になるので、課題が達成しやすくなるのです。


 1つめの「選択肢の制限」というのは、「選択肢を減らす」ということです。当会の講座動画が、


・「作るのは4小節/8小節だけ」
・「コード進行は借りてくる」
・「使う音はコード音のみ」


等といった方式を採用しているのも、「感性の赴くままに自由に作ってみて下さい」等と「大量の選択肢を与えて放置する」よりも、「限られた選択肢から選ばせる」方が気分が楽になり、やる気も出やすいからです。
 
 例えば、「英作文の練習をする」場合を考えてみて下さい。いきなり、


「英語で自由にエッセイを書いてください」


と言われたら戸惑いを感じはしないでしょうか。それよりは、


「使う単語は5つまで、『主語+述語+目的語』という第3文型、動詞は現在形のみで、英文を作ってみて下さい」


と言われる方が、まだ自分にも出来そうだと思えるのではないでしょうか。


 2つめの「具体的な手順」というのは、「1つずつ順番に段階を踏んでいく」ということです。当会の講座動画が、


①歌詞を8小節に割り振る
②各小説で歌詞に合わせてリズムを作る
③コードを選んで伴奏をつける
④音の変化の方針を決めて音程をつける


という風に、まずはこの課題を、それができたら次の課題をという方式で進めているのも、その方が脱落者を出しにくいだろうという考えに基づくものです。


 例えば、「料理のレシピ」を思い浮かべてください。あるいは「プラモデルの組立図」でも構いません。その手順に従っていけば、人によって上手い/下手はあるかもしれませんが、最後まであきらめずにやり通せば、とりあえずは完成させることができます。


 つまり、当会の講座動画は「ガムのおまけのプラモデルとその組立図」のようなものです。なるべく作りやすくするために、「コード進行」や「コード音」という「曲の部品素材」はこちらで指定させて頂いております。さらに、「プラモデルの組立図」のように、それらの「曲の部品素材」をどのように加工し、組み立てていくのかについても、「具体的な手順」を示しております。

 後は、「皆様のやる気」次第です。当会の講座動画の内容に基づいて、実際に手を動かして頂けるならば、完成度は保障できませんが、必ず皆様の「曲/歌」が完成するのです。