2015年5月31日日曜日

「入門さえできない人のための作曲講座 教養編 其の3」を投稿しました

 「入門さえできない人のための作曲講座 教養編 其の3」が完成したので、ニコニコ動画に投稿しました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm26379633

 なお、本編の後編は製作中です。

2015年5月24日日曜日

「Forgerの備忘録」 第6回 「構造」と「構成」-メタ楽曲分析の意義

 Forgerです。前回、「小論文と歌謡曲がほぼ同じ構造をしている」ことを論じた訳ですが、今回は「楽曲の構造を分析する意義」についてお話します。

結論から言うと、楽曲を効果的に聞かせるためには「構成」を考える必要があり、その前提として「構造」を分析する必要があるからです。

例えば、前回お話しした「5パラグラフ・エッセイ」では、

1 序論:テーマの設定
2 本論1:テーマに対する論点と自分の意見の根拠1の提示
3 本論2:テーマに対する論点と自分の意見の根拠2の提示
4 本論3:テーマに対する論点と自分の意見の根拠3の提示
5 結論:全体のまとめと、テーマに対する自分の結論の提示

という「構成」になっています。

 言い換えるなら、

「問い」→「論点と根拠」→「結論」

という非常に論理的で明快な構成になっています。

 これに対し、歌謡曲もこれほど明確ではないですが、

1 前奏:曲全体を予感させる部分
2 Aメロディー:曲は序盤。歌詞は舞台設定を提示。
3 Bメロディー:曲はサビへつなげる部分。歌詞はサビのメッセージの理由となる心情を提示。
4 サビ:曲は一番盛り上がり、歌詞は最も伝えたいメッセージを提示
5 後奏:曲全体のまとめ。

というような「構成」が存在します。

 つまり、歌謡曲の「歌詞」には、

 Aメロディー    Bメロディー     サビ
「舞台設定」  → 「心情の理由」  → 「伝えたいメッセージ」

という「構成」があり、楽曲もそれに対応したものにする必要があります。

 さらに、サビを効果的にするためには、前奏にサビの一部を持って来たり、後奏でサビをリフレインしたり、対比させるようにAメロディーは敢てゆっくりと始めたり、等の様々な技法を使う必要があります。

 そして、それらの技法を選択する前提として、歌謡曲全体の「構成」を考える必要があり、そのためには既存の歌謡曲に存在するAメロディー、Bメロディー、サビ等の「構造」をきちんと「分析」し、それらについて学習しなくてはならない訳です。

2015年5月3日日曜日

「蟹缶の弱音ハクなボヤ記」 五言目:ニコニコ超会議2015に行ってきました

さる4月25日26日に幕張メッセで開催されたニコニコ超会議2015に行ってきました。
会場で感じたことを「音」をテーマに書きたいと思います。

●「音」は皮膚で聞くもの
 会場には大小様々なスピーカーが設置され、それを使う出展者や出演者がいます。
万単位の来場者が館内を巡り、時に歓声を上げる。
幕張メッセの館内にパンパンに音が詰め込まれ、木霊していました。
音が岩のようになって自分にぶつかってきたり、流星のように飛んで行ったり、
歓声が上がるたびに膨らんではしぼんでいくが見えたり。
もちろん、そんなモノが視認できるわけはなく、皮膚感覚がそう捉えるのです。
会場で聞こえるのは、音声ではなく、場の空気感そのものであったように思います。
これは、ネットを通じてではわからない、現場にいるからこそ感じられる感覚でしょう。

●「位置」は視覚情報ではなく、聴覚情報の方が重要なのか?
 今回の超会議では次世代ヘッドマウントディスプレイ「Oculus Rift」を使った展示が随分と増えました。
その中で、ロート製薬が目薬「デジアイ」のプロモーションとして初音ミク VR Special LIVEを出展。
10人を一組として、Oculus Riftと立体音響対応のヘッドホンを装着し、ミクさんのVRライブを行いました。
頭を動かして視点の位置を変えると音声の聞こえる位置も動きに追従します。
音声の位置が変わることでミクさんの位置が特定され存在感がぐっと上がることが分かりました。
以前、ボーカロイドオペラ「The End」を観に行った時は10.1チャンネルという音響環境での上演で、会場が暗闇で周囲が見えなくても音を聞くだけで「何かがそこにいる」という位置情報を認識できました。
 つまり、人は位置情報を視覚だけではなく聴覚をより強く頼りに特定しているということです。
では、先天的に聴覚障害を持つ人はどのように位置情報を得るのでしょう?
ひょっとして、方向音痴の人はそうでない人よりも聴覚の能力が劣っている可能性もあるのか?
あと、分身の術ってのは実は視覚ではなく、聴覚のトリックだったりする?

なんてことを取り留めもなく思った2日間でした。